mono-logue

2012年3月23日 19:02

 

【大阪アジアン映画祭】
『ラブリー・マン』――ある映画の日常

文/山本洋
ラブリー・マン イメージ
 列車に揺られながら外の景色を眺める少女の不安げな表情。
 身に纏った白いヒジャヴは、彼女が敬虔なムスリムであることを示している。

 19歳のチャハヤは、自分と母親を棄てた父親に一目逢うためにインドネシアの首都ジャカルタを目指していた。
 父サイフル(ドニー・ダマラ)が、名を変え男娼に身をやつしているという思ってもみなかった現実を突きつけられ混乱するチャハヤ。
 そしてサイフルはささやかな自分の幸せを夢見ていた。

 全編デジタル一眼レフカメラ(Canon 5D MarkII)で撮影されたというその映像は、被写界深度の浅い剃刀のように薄いピントで、時に生々しく、時には濃密で幻想的な色彩で、都会の裏路地に棲む父親の生活をリアルに切り取ってゆく。

 印象に残るのは夜のシーン。喧騒から開放された都会に潜むもう一つの顔。
 流れるのはクロード・ドビュッシーのピアノ曲「月の光」。少しずつ距離を取り戻していく父娘の触れ合いが、つかの間のものでしかないことを静かに物語る。

  父親を見失ってしまった娘は、夜明けの礼拝のために身を清め、アッラーへの祈りを捧げる。
  その頃、サイフルは、高利貸し一味に追い詰められた挙句、激しく暴行を受けていた。

ラブリーマンQ&A大阪アジアン映画祭で観客からの質問に答える『ラブリー・マン』のプロデューサー、ボビー・スルジャディ氏
 ボビー・スルジャディ(プロデューサー・音楽監督)は語る。
 「男娼はごく当たり前のように存在します。イスラムの教えの国インドネシアでも。娘の礼拝と父親のレイプシーンのカットアップは、聖と俗は常に同居しているのだという現実を物語るものです」

 監督の2005年の初公開作"Banyu Biru" も、幼くして母親と妹を亡くした少年が、 「父親は家族を愛していなかったのか?」という疑問の答えを探す旅に出るロードムーヴィーであった。
 美しく成長した娘チャハヤを演じたのは監督自身の妻。まだ30代半ばの若いテディ・ソエリアットマジャ監督にとって、家族の結びつきというのは永遠のテーマなのかもしれない。

 本作は、2011年の釜山国際映画祭にて初出品され、そこでの評価を受けて、以降世界各地の映画祭での上映が相次いでいる。今回の大阪アジアン映画祭でのプレミア上映もそのひとつだが、本国インドネシアでは現在のところ公開予定はないという。
 「インドネシア国内での検閲の問題についてはクリアになるでしょう。しかしながら、宗教的な問題と倫理的な観点、ゲリラ的にDSRで撮影するなど実験的要素も本作には多く含まれており、監督をはじめ、我々はまだ公開するかどうかを決めてはいません」(同スルジャディ氏)

ドニー授賞式第6回アジアンフィルムアワードで最優秀主演男優賞したドニー・ダマラ氏
 3月19日には、香港で行われていた第6回アジアンフィルムアワードにおいても、監督賞こそ逃したものの、主演のドニー・ダマラは最優秀主演男優賞を受賞している。
 72分という小品に近い作品ではあるが、こういった世界的な評価を追風として、インドネシアでも、そしてもちろん日本でも一般公開される事を切に願う。

 「アッサラーム・アライクム(あなたに平安がありますように)」
 「ワ・アライクムッサラーム(あなたにも平安がありますように)」
 最後に、娘と父親に交わされる、ムスリムのごく日常的な挨拶。
 すさんだ生活に流されながらも儚い夢を胸に抱くサイフルの心にも、娘の幸せを心から願う想いが蘇ったのだろうか。
 娘を見送るサイフルの表情はどこまでも優しい父親のそれであった。


テディ・ソエリアットマジャ監督公式website:

テディ・ソエリアットマジャ監督YouTube:

Lovelyman Film Festival Trailer

Banyu Biru (2005)